出口王仁三郎の予言する真の救世主
予言と解釈
……
王仁三郎自身、奇妙なことをいっている。自分は「偽者」だというのである。それは、彼が政治家・床次竹二郎の弟、真広に渡した遺書である。
「いま、大本にあらはれし、変性女子はニセモノじゃ、誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立て直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までもひらくによしなし。さればとて此れにまさりし侯補者を、物色しても見当たらぬ。時節を待ちていたならぱ、何れあらはれ来るだろう。美濃か尾張の国の中、まことの女子が知れたなら、もう大本も駄目だろう。前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ。皆さんあとからゆっくりと、目がさめたなら出てきなよ。盲千人のその中の、一人の目明きが気をつける。ああかむながら、かむながら、かなはんからたまらない、一人お先へ左様なら」……(『出口王仁三郎の霊界からの警告』武田崇元著、光文社刊より)
まことの女子が美濃か尾張の国の中に現れるという。
これをどう解釈するか。
この場合の、「まことの女子」とは真の救世主のことであろう。
しかし、「美濃か尾張の国の中」とは、
皮肉なことに救世主出現に無縁の場所を故意に述べている。
救世主出現の時に、救世主に関係の無い場所を述べているのである。
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