メモ  大本教



出口なお(1916年)
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京都府綾部に本部を置く神道系の宗教。
教祖出口なお(1836‐1918)は丹波国の生まれ。
出口家の養女となったが、夫の放蕩のため、大変な生活苦を体験した。
1890年三女が発狂し、金光教の布教師の祈祷によって正気に戻るという体験を機に金光教に帰依する。
さらに92年、なおは突然神がかりし、
「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ」と口走り、世の中の立直しを叫んだ。
なおは病気治しを中心に宗教活動をすすめ、その中で、大本教の教義の原典「筆先」を表す。
94年、なおは金光教の布教師となる。
しかし、なぜ病気が直るのか、なぜ信仰によって幸福になれるのかといった、救いの哲学を生み出せず、
「艮の金神」を理解し「筆先」を教義として体系化してくれる協力者を求めた。
そんな中、京都府亀岡市の小作農の長男上田喜三郎(出口王仁三郎、1871‐1948)と98年に出会う。
翌99年王仁三郎は大本教へ入会、1900年なおの五女すみと結婚し、
「筆先」と自分の宗教体験と知識をもとに大本教の教義を体系化する。
なおは、大本教を開教して、聖師と呼ばれる王仁三郎と共にその基礎を固め、信徒は各地で増加する。
18年、教祖なおは83歳で世を去るが、大本教はマスコミの力も使って全国的な発展を遂げた。
しかしこの急速な発展に対し、
1921年弾圧が行われ(第1次弾圧)、王仁三郎は検挙され、神殿、なおの墓などが破壊された。
同年『霊界物語』の口述を開始、
25年には海外にも進出した。
35年王仁三郎は再び検挙され(第2次弾圧)、
37年には治安維持法違反と不敬罪のため無期懲役を宣告され、教団は大打撃をうけた。
しかし第2次大戦の敗戦直後の
45年9月に無罪となり、政府に没収されていた綾部、亀岡のの聖地も返還された。
46年大本教を愛善苑の名で再建した。現在は大本と称している。
王仁三郎の予言者としての名を高からしめたのは、太平洋戦争に関する予言である。
1917年に太平洋戦争による大日本帝国の崩壊を予言している。
戦争の経過を当てたばかりか、戦争末期の状況まで具体的に描写した。
この予言を一つの契機として弾圧も起こったが、それも事前に予言している。


予言と解釈  予言と解釈

「ミロクの世」は精神文化が咲き誇り、新しい科学技術が発達し、新しい経済システムが人々を幸福にする輝かしい精神文明の時代である。その時代に地球は統合され三千世界への宇宙進出も始まるのである。
出口王仁三郎はテクノロジーの進化が「ミロクの世」をもたらし、世界は12民族の連邦国家となると言っている。
「ミロクの世」については、
「時速七百キロの弾丸列車が、地上に浮いて走るようになる」、
「貨幣はひとつのしくみに統一され、物々交換も利用される」、
と言う言葉も残している。



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